レジェンドホスト・ローランドさんの経営するザ・クラブの「帝王」俊さん。
ローランドグループのホストさん達はYou Tubeで配信している人が多いのですが、これは俊さんから始まったんですよね。
現在俊ちゃんねるの登録者数はなんと5.54万人!
頭が良くて努力家の俊さんですが、A◯監督だった過去もあるというので衝撃です。
この記事ではザ・クラブの「帝王」俊さんの監督作品についてや、これまでのすごい経歴をまとめてみたいと思います。
ホスト俊のWiki風プロフィール
本名:「柳 俊(やなぎ しゅん)」の可能性が高い(You Tubeでも出ていた)
生年月日:1991年6月24日 (2023年8月現在で32才)
出身:埼玉県
身長:172cm
血液型:O型
星座:かに座
俊さんの本名についてですが、You Tubeで「柳(やなぎ)」と言っていることと、家族が「俊(しゅん)ちゃん」と呼んでいることから、「柳 俊」なのかな~と…。
家族は俊ちゃんと呼んでいるので、もしかしたら「俊一」「俊吾」「俊太郎」とかそういった名前の可能性もありますね。
正確な情報を知っている方がいればぜひ教えてください。
【ザ・クラブ】ホスト俊の監督作品についてリサーチ
俊さんは過去にA◯監督として作品を作ったことがあります。
異色の経歴過ぎて本当に驚きますよね。
しかしA◯監督になったのにはちゃんと理由があるんです。
それは、事業拡大に失敗したことでした。
俊さんは22歳のときにIT系の会社を起業しました。
その会社はなかなか好調だったため、俊さんは事業を拡大しようとします。
しかしその拡大は失敗に終わり、会社は倒産寸前となります。
資金繰りに困っていたとき、俊さんがビジネスの師匠と仰ぐ人から「知り合いにA◯をやっている社長さんがいるから、A◯をやってみたら?」とアドバイスをされました。
会社の存続のことを考え、藁をも掴む気持ちだったのでしょうか?
俊さんは「やってみよう」と決心し実行に移します。
この仕事は、A◯の企画立案から女優さんの選定、撮影、監督、男優、更には撮ったAVの編集、パッケージ化、ライティングもした上で、販売サイトにマーケティングをかけるところまで全て自分一人でやるのだそうです。
大変すぎますね…。
しかし4作品目を撮っているときに突然俊さんは「何してんだろうな?俺」と我に帰ったと言います。
そして何もかもが嫌になり、会社もたたみA◯の仕事も半ば蒸発のような感じですべてを投げ出してニートのような生活をするようになります。
ホスト俊の監督作品や作品の名前は?
俊さんが制作したA◯作品について調べてみたのですが、残念ながら見つけることはできませんでした。
身バレするような名前で作品を世の中に出すはずはないので、名前は変えているでしょうね。
画像は俊さんのA◯作品だそうです。
俊さんが指差ししながら「これは俺の息子です」と話していました。
ホスト俊の波乱万丈に満ちたエピソード12選
それではここからは俊さんの経歴についてまとめていきます。
俊さんの経歴を知ってすごいなと思うと同時に、勇気をもらう方も多いのではないかなと思います。
「つまづいたっていいんだよ」と教えられた気がします。
1、ホストの仕事にハマる
俊さんがホストになったのは大学1年生の夏休みに、ホストの体験入店をしないかと声をかけられたことがきっかけです。
そこで「女の子とお酒を飲んでお金をもらえるなんて良い仕事だな」と思い、ホストを始めました。
はじめは二部のお店で働いていましたが、系列店で一部の新店がオープンすることが決定し、俊さんはそこへ移籍します。
そしてその結果、大学へは全く行かなくなった俊さんは夜の世界の住人となるのでした。
2、No.1になる
頭の良い俊さんは、キャッチではなくSNS上でキャッチを始め、太客を捕まえます。
No.5になった時の月収100万近くというから驚きです。
その後更に極太客をSNSで捕まえた俊さんは、自分のバースデー月に見事No.1に輝きました。
月収は200万を超えていたそうです。
しかしNo.1を目標にして頑張ってきた俊さんは、目標を失い「何故ホストをしているのか」と悩む日々を迎えることとなります。
3、ホストをやめる
目標を失った俊さんは、悩み続けます。
そしてお店をやめる決意をしました。
このときは「ホストを続けていてもどうしても先が見えなかった。」そうです。
俊さんはオーナーに「やめたい」と伝えましたが、幹部になっていたために簡単にはやめさせてくれません。
やめることを許してくれないオーナーに対して「次の月にNo.1になったら辞めさせてほしい」と頼み込みます。
その時点では俊さんは目標を失い売上がかなり落ちていたので、No.1を取ることは用意ではありませんでした。
オーナーは「取れなかったら店に残る」という条件を出します。
結果No.1を獲った俊さんは無事お店を卒業することができました。
4、ヒモ生活が始まる
ホストを卒業した俊さんは「学校へ行こう」と決心します(ということはこの時点では大学は辞めていなかったのでしょうか?)。
俊さんはこの頃、ホスト時代にエースだったA◯女優と半同棲をしていました。
その同棲相手の女の子がある時「学費出したげるから学校なんて行かないであたしんとこいなよ!」と言い出し、そこから女の子に養ってもらう「ヒモ」生活が始まります。
学費を出すから学校へ行かないで自分のところにいたら?というのはちょっと謎ですね。
学費を出すから働かずに学校での勉強を頑張りなよ、なら理解できるんですが…。
5、ヒモをビシネスに
最初はその子の家でゲームばかりして、ご飯は出前で済ますという完全にひきこもりニート状態だった俊さん。
そのうち日に日に「このままではマズい」という焦燥感が募り、「ヒモ」というものを一種のビジネスとして捉えてみることにしたそうです。
方法はホスト時代の縁を切っていないお客さんを辿って、お金を引き出そうということでした。
簡単そうに思えて始めたものの非常に大変だったようですが、ホスト時代のお客だった数人の女の子から何とかお金をもらうことができ「ヒモ」は一応成立していました。
はじめは総額で月に80万ほどを稼ぐことができていましたが、すぐに上手くいかなくなります。
6、スカウトマン時代
ヒモ生活が半年ほど続いたある日、俊さんは新宿でスカウトマンの仕事をしないかと声をかけられます。
はじめは無視したのですが、あまりのしつこさに根負けし、電話番号を聞いてその日は帰りました。
怠惰な生活に「このままじゃいかん」と思い立ち、その数日後スカウトマンと会うことにした俊さん。
そしてスカウトマンとしての生活が始まります。
その時の最高月収は60万でしたが、俊さんはこの仕事にそこまで本腰は入れなかったと語っています。
7、ネットビジネスの世界へ
スカウトマンをしながらデリヘル開業を考えていた俊さんでしたが、ある日価値観を変える出会いがありました。
それは当時「秒速で1億円稼ぐ男」と呼ばれていた「与沢翼」さんの動画です。
動画に感銘を受けた俊さんは、アフィリエイトをメインとしたネットビジネスの世界へ。
ハマるととことん突き詰める俊さんは、ネットビジネスについて勉強しまくり、PPCアフィリエイトと呼ばれる手法で最高月収50万ほどの不労所得システムを構築します。
8、A◯の仕事
アフィリエイトで結果を出した俊さんは、個人向けビジネスモデルから、法人向けのWEBマーケティングのコンサルタントとしてのビジネスモデルへと方向を変えようとします。
しかし法人向けとなるとそう簡単にはいきません。
なかなかうまく行かず、とうとう軍資金が底をつきかけていたところへA◯関係の社長を紹介され、仕事のオファーをもらいます。
はじめは躊躇した俊さんでしたが、チャレンジすることになりました。
しかし4作品を撮ったところで「何やってるんだろう」となり、アフィリエイトの会社もA◯の仕事もやめることになりました。
9、引きこもる
仕事をすべてやめて、引きこもる生活は2年近く続きました。
はじめは、これまで時間がなくて出来なかったことをしたり、映画を観たり、本や漫画を読むなどしていました。
そのうちネットゲームに手を出した俊さんは、これにハマっていきます。
元々重度のゲーマー気質で、一つのことにのめり込むとそれしか見えなくなるタイプだった俊さんは、「起きて、ゲームして、寝る。」という生活を約2年弱もの間続けました。
「肉体的には生きていたけれど、精神的には死んでいたのだ。毎日、自尊心が枯れていく感覚というものが、嫌でも感じられてしまう。」と俊さんはnoteに綴っています。
10、お遍路へ
そんな生活を送っていた俊さんを救ってくれたのが「お遍路」でした。
歩き・野宿でのお遍路さんの旅。
はじめはテントの張り方も分からず不安を抱えての出発でしたが、毎日毎日歩き続けていくうちに、俊さんの心にかかった深い霧は晴れていきます。
このお遍路の旅で、たくさんの人に出会い、助けてもらい、「人は一人で生きているのではなく、たくさんのものに生かされている」ということを実感できた俊さん。
人生観が変わった素晴らしい旅でした。
11、旅人から再びホストへ
お遍路を終えたあと俊さんは、遍路中に出会った人に再会したり、熊本にボランティアに行ったりと、ちょこちょこ旅をするような生活をしていたそうです。
そして2017年の4月から、なんと徒歩で日本一周の旅に出ることに!
リュックサックの中にテントと寝袋とマットを押し込んで、野宿で旅をしたそうですからすごいですね。
3、4年はかかると思ってスタートしたこの旅は、半年ちょっとで中断することとなります。
お遍路から始まり、国内を約3年間放浪し続けた末に俊さんがやりたいと思ったことはホストでした。
札幌滞在中にノリでススキノのホストクラブにノリで体験入店に行った俊さん。
実に7年ぶりのホストの世界は純粋に楽しく、俊さんの中に熱く込み上げてくるものがありました。
「ホストをしたい」
そして次の週には北海道から関東に戻り歌舞伎町に立ち、27歳でまたホストを始めることとなります。
12、ホスト俊、再び
夜の世界に戻ってきた俊さんの活躍はもう皆さんご存知でしょう。
月間6000万プレーヤー、年間1億7400万OVER、2022年度年間売上No.1 、年間売上グループ記録保持者とその偉業をあげればキリがありません。
そしてユーチューバーとしての地位も確率しています。
俊さんがユーチューバーとして成功していいることで、ホストという仕事にも変化の兆しが見えます。
「お店に行かなくても気軽に応援できるアイドルホストの先駆者」と言っても過言ではないでしょう。
ローランドさんの記録を抜いて、ナンバーホストは引退した俊さんは、現在はプレーヤーとして以外にも後輩ホストや店舗のために活動しています。
まとめ
ローランドグループのホスト俊さんに注目してみました。
俊さんは人を引き付ける魅力に溢れた方ですよね。
苦しい思いをしてここまで来たからこその包容力を感じますし、他のホストさんを応援する姿も本当に素敵です。
俊さんの動画で日々の疲れが癒やされている人も多いのではないでしょうか。
それでは今回はこの辺で失礼します。
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