一斉を風靡した昭和の歌姫、ちあきなおみさん。
活動を休止されてから随分経ちましたが、今年に入ってからもBSの番組で特集がありました。
いまだに注目度が高いちあきなおみさん。
引退の理由はご主人の死と言われていますが、本当にそれだけなのでしょうか?
詳しく調べていきたいと思います。
ちあきなおみのWiki風プロフィールと経歴
出生名:瀬川 三恵子(せがわ みえこ)
生年月日:1947年9月17日
出身地:東京都板橋区
家族構成:父親(家を出たのち離婚している)・母親・姉二人
配偶者:郷鍈治(故人)
身長:162cm
若い頃のスリーサイズ:B89・W60・H90
ちあきなおみの経歴
幼い頃から両親の影響で芸能活動をしていたちあきなおみさん。
一時期芸能の世界から離れましたが、中学に入ったころから活動を再開し歌手としての下積み生活が始まりました。
米軍キャンプやジャズ喫茶を中心とした歌手活動で確実に実力をつけていきます。
そして日本コロムビアのオーディションをきっかけに、作曲家の鈴木淳へ師事することとなりました。
1年4ヶ月のレッスンの後1969年にシングル「雨に濡れた慕情」歌手デビューを果たし、約17万枚を売り上げオリコンで最高23位!
さらに「第1回日本有線大賞」の“期待賞”も受賞となりました。
翌年もヒット曲を連発、テレビ番組にも出演し活動の幅を広げます。
そして1972年に代表曲となる「喝采」がシングルで発売されます。
「喝采」は昭和歌謡の名曲のひとつとして、今日においても高く評価されていることはみなさんもご存知でしょう。
計80万枚という脅威の売り上げとなったこの曲で、ちあきなおみさんは「第14回日本レコード大賞」を受賞しました。
1978年に俳優として有名だった郷鍈治さんと結婚し、「充電期間」として一時期仕事をあまり入れず、ご主人の喫茶店を手伝うこともありました。
しかしその後1988年にテイチクへ移籍し活動は活発になり人気曲をリリースし続けます。
翌年1989年には初の舞台作品としてミュージカル「LADY DAY」で主役で出演。
これが非常に好評で、1991年にも別の舞台で主演、舞台女優としての地位も確立します。
しかし「ちあきなおみ」としての活動が順風満帆な中、1992年最愛の夫である郷さんが肺癌によって逝去。
この後からちあきなおみさんは、歌手活動・女優活動など含めた全ての芸能活動を完全にストップさせました。
(実はちあきなおみさんは明確な「引退宣言」は行っていないようで活動休止という形になるのかもしれません。)
ちあきなおみの引退理由は5つ?
それではここからはちあきなおみさんの引退理由についてリサーチしたことをご紹介していきます。
1、母親の死
2、父親との確執
3、音楽業界への不信感
4、時代の流れ
5、最愛の夫、郷鍈治さんの死
1、母親の死
ちあきなおみさんのお母様は、1989年に亡くなっています。
働かない夫のかわりに一家を支えてきた優しいお母様は、ちあきなおみさんにとって心の支えでした。
もしかしたら郷鍈治さんに出会うまでは、ちあきなおみさんはお母様のために歌ってきたのかもしれません。
きっと夫の郷鍈治さんがいなかったら、お母様を亡くしたときにちあきなおみさんは歌うことをやめていたかもしれません。
逆を言えば、お母様が生きていれば、ちあきなおみさんは郷鍈治さんが亡くなっても歌い続けていたのかもしれません。
2、父親との確執
ちあきなおみさんの父親は、若い女性と浮気をして家族を捨て、その女性と結婚しています。
その時相手の女性は17歳だったというから驚きですね。
そうやって家族を捨てたにも関わらず、ちあきなおみさんが売れっ子歌手になるとお金の無心をしてきました。
この父親にはなんと「窃盗癖」もあり、何度も刑務所に入っているようです。
郷鍈治さんは結婚後ずっと、この父親からちあきなおみさんを守っていました。
父親の後妻である女性は「郷鍈治さんが亡くなったことによって、犯罪常習者の父親のスキャンダルが明るみに出ることに怯え、それも引退の理由の一つでは」と取材に答えていたという話もあります。
3、音楽業界への不信感
ちあきなおみさんに対しては、歌がとんでもなく上手で世間からも愛される華やかなスターというイメージでした。
しかし調べていくうちに、音楽業界との軋轢に悩んで来た方であるということがわかりました。
ヒットを出せば更に次、その次、と常に売れることを追うのは音楽業界としても当然のことです。
しかしそのために自分が望まない形で活動を続けて行くことは、歌手としては苦痛以外の何物でもないでしょう。
やはりちあきなおみさんもそういったことに悩んでいたようです。
着物を着て演歌を歌ってくれとレコード会社から言われたこともあると言います。
多くのジャンルの歌を歌いたいと考えていたちあきなおみさんに取って、この路線は受け入れがたいものだったでしょう。
それが軋轢を生み、悪者のように言われた時期もあったのです。
そしてその軋轢は郷鍈治さんとの結婚で決定的なものとなりました。
ちあきなおみさんの最後のマネージャーだった古賀慎一郎さんのブログに書かれています。↓
ふたりはこの年の四月二八日、ひっそりと式を挙げる。
ちあきなおみ二九歳、郷鍈治四十歳のときである。
この結婚が公になると、日本コロムビア側は態度を硬化する。レコード会社になんの相談もなく、というわけである。
https://note.com/koga1967/n/neb22973d68f5
数年に及ぶ制作スタンスを巡ってのせめぎ合いは、この結婚が大きな一因となって終止符を打つ。
それは、ちあきなおみのわがまま、そしてその元凶は郷鍈治、としてであった。
色々なことを見てきたちあきなおみさんは、複雑な想いを抱えながら芸能活動を続けていたのかもしれません。
4、時代の流れ
ちあきなおみさんが活動を休止した1992年の音楽業界は平成4年、まだ少しばかり昭和の香りを残していたと記憶しています。
井上陽水さん、米米CLUBさん、中山美穂 &WANDSなどの曲がヒットしていた頃ですね。
音楽業界に大きな変化が見え始めたのは2年後の1994年、小室哲哉さんがプロデューサーとして台頭してきた頃です。
ここから音楽業界は急速に変わっていったような気がします。
ちあきなおみさんの最後のマネージャー古賀慎一郎さんのブログにはこういった記述がありました。
そんな時代模様の中、歌謡界では小室哲哉サウンドを筆頭として、音楽はアナログ時代からデジタル化され、コンピューターによる打ち込みサウンドが主流となり、安室奈美恵などが歌うダンスミュージックが人気を博していたのだ。
そして時代はカラオケブームの全盛にあり、カラオケで歌いやすい歌が量産され、大衆はマイクを握りプロ歌手のように歌い、踊った。音楽ライブ会場では、聴衆は席を立ち、拳を突き上げ、汗をかき熱狂した。
https://note.com/koga1967/n/neb22973d68f5
果たしてこのような音楽シーンの中に、本物の〝聴かせ歌〟が生き残ってゆく舞台があるのであろうか・・・・。歌魂を失ったかのような歌謡界への不安、その行末を憂い、このあたりが潮時であろう、との判断があったのではないだろうか、と思うのだ。
ちあきなおみさんがこう思ったのかはわかりませんが、一番近くで見ていたマネージャーの方が感じたことであれば、やはり「時代の流れ」も引退の理由に一つなのかもしれません。
5、最愛の夫、郷鍈治さんの死
そしてもちろん一番の理由は、郷鍈治さんの死でしょう。
「私は、郷鍈治が喜んでくれるから歌っていた」
これは最後のマネージャーだった古賀慎一郎さんが聞いたちあきなおみさんの言葉です。
郷鍈治さんは元は有名な俳優さんでしたが、ちあきなおみさんと結婚してからは俳優業を引退してまでも、徹底的にサポート役に徹していました。
それは「天才歌手・ちあきなおみ」を守るためです。
ちあきなおみさんは真っ正直で歌に対して非常に純粋な方で、そのために自身のポリシーを曲げることが出来ず会社から理解されないこともあったようです。
しかし歌手活動を続けて行くためには、周囲ともある程度上手くやっていくことも必要ではあります。
真面目でまっすぐ過ぎるちあきなおみさんを、郷鍈治さんはずっと一番近くで支え続けました。
歌を純粋に愛するちあきなおみさんが、煩わしいことに惑わされることなく、「そのままのちあきなおみ」でいられるように郷鍈治さんが守っていたのです。
ここまでしてくれた人生の伴侶を失ったら…自分の半身を引きちぎられたようなものです。
母の死・父との確執・音楽業界への複雑な想い・時代の流れ…こういったことを胸に抱えながらも歌ってきたちあきなおみさんでしたが、最愛の夫、郷鍈治さんの死で、何かが切れてしまったのかもしれません。
ちあきなおみの復帰の可能性は?
活動休止から実に30年以上経っているちあきなおみさん。
それでも復帰を望む声が今でも上がっています。
2023年8月にBSで特集があったのですが、それを見て復帰してほしいという声がまた上がっていました。
こちらは今年1月、「魂をもってかれそうな歌い手」とちあきなおみさんを絶賛しています。
「やっぱりたまらない」という声。
このように復帰を望む声はずっとありますが、復帰は難しいと感じます。
郷鍈治さんの最後の言葉は「もう、無理して歌わなくていいよ」だったそうです。
きっとちあきなおみさんは歌うことを愛していたでしょうし、ご自身では無理をしていることに気付いていなかったかもしれません。
しかし幼い頃から両親に望まれ、母親を支えるために芸能活動をしてきたちあきなおみさんにとって、「歌を好きだ」という想いの他に、誰かに認めてもらうためという側面もあったでしょう。
ちあきなおみさんは、歌うことで幸せを感じる反面、歌うことで寂しさや虚しさも味わってきたのかもしれません。
郷鍈治さんは、ちあきなおみさんの最大の理解者。
「もう、無理して歌わなくていいよ」この言葉でちあきなおみさんの心を、すべてのしがらみから解放してあげたかったのでしょうか。
そして「私は、郷鍈治が喜んでくれるから歌っていた」、ここまで言い切ったちあきなおみさんの復帰の可能性は、やはり限りなくゼロに近い気がします。
2015年の週刊誌の記事でちあきなおみさんのお墓参りが報じられていました。
《主人の死を冷静に受け止めるには、まだ当分の時間が必要かと思います》
そんなメッセージを残し、彼女が休業に入ってから、すでに23年になる。
休業中にも、彼女のベスト盤CDなどが発売され、そのたびに“ちあきなおみ復帰待望論”が巻き起こった。
だが彼女はそんな声にも、音楽関係者の説得にも耳を傾けようとはしないという
女性自身
こんなにも一途に人を愛することができて、その相手から愛されて、ちあきなおみさんは本当に幸せな方だなぁと羨ましく思います。
きっとちあきなおみさんは表舞台に出ることはなくとも、今も歌うことを愛し続けているでしょう。
まとめ
ちあきなおみさんが活動休止から30年以上が経ちました。
今でも色褪せない歌声は、ちあきなおみさんの世代でない若者たちからも支持を得ているようです。
本物は世代を超えて伝説となって語り継がれて行くのでしょう。
これからもちあきなおみさんが、穏やかであたたかい日々を送って行けることを切に願います。
でもやっぱりどこかで復帰を願わずにはいられません。
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