ジャニーズ事務所の女帝として知られる故メリー喜多川さん。
2021年8月14日に亡くなられていますが、ジャニーズ事務所の会見で娘の藤島ジュリー景子さんがメリー喜多川さんとの関係について手紙に綴ったことが大きな話題となりました。
あの手紙の内容を聞いて、メリー喜多川さんについて知りたくなりました。
ということで今回は、メリー喜多川さんの女傑・毒親・恫喝についてのエピソードを調べました。
メリー喜多川Wiki風プロフィール
本名:藤島メリー泰子(ふじしま メリー やすこ)
生年月日:1926年12月25日
没年月日:2021年8月14日
出身:アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス
出身大学:ロサンゼルス・シティー・カレッジ
職業:実業家
メリー喜多川さんは、3人兄弟の長女で、上の弟さんは、科学者の故・喜多川真一さん、下の弟さんは、ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さんです。
そして夫が藤島泰輔氏、娘さんが藤島ジュリー景子さんですね。
家系図はこちらです。
メリー喜多川さんは父親の喜多川諦道氏は高野山真言宗の僧侶でした。
僧侶として世界各国を周り勉強をすることを目的としてアメリカに渡った際に、ロサンゼルスの「高野山真言宗 高野山米国別院」に参拝しました。
その時の主監を手伝いを頼まれて滞在したことがきっかけで、高野山米国別院の第三代主監をつとめることになります。
そしてメリー喜多川さんの母親を呼び寄せて10年の間ロスで暮らしました。
メリー喜多川さんはロスで生まれていますが、父親も母親も日本人ですので、生粋の日本人ということになります。
女傑エピソード①
メリー喜多川さんは非常に豪傑な女性です。
郷ひろみさんが元はジャニーズ事務所に在籍していたことは有名だと思います。
芸能事務所を移籍することは現在でも簡単なことではありませんよね?
昔はもっとしがらみが多かったはずなのですが、郷ひろみさんはジャニーズ事務所に3年しか在籍していないのに、バーニングへ移籍をしています。
当時まだ若かった周防郁雄社長が「メリーさん、私に(郷ひろみを)やらせてくだい」とメリー喜多川さんに頼んだところ、「いいわよ」とあっさりOKを出したのだそうです。
実はジャニー喜多川氏は郷ひろみさんに対して未練タラタラだったとのことですが、この移籍には大物が絡んでいたため、メリー喜多川さんは今後のジャニーズ事務所にとってプラスになると踏んでいたのです。
この移籍劇には、当時芸能界の大物が仲介に入っていました。
そのため、郷に未練を残すジャニー氏を尻目に、メリーさんは冷静な判断を下して郷ひろみを手放したんです。
移籍に関しては、それ相応の移籍金が払われたと聞いていますが、それ以上にジャニーズが手にいれたものは大きかった。
週刊文春
この出来事以降、ジャニーズ事務所の芸能界での発言力が高まり、男性アイドルはジャニーズが独占するという暗黙の了解が芸能界で形成されていったようです。
メリー喜多川さんの冷静な判断が、「ジャニーズ帝国を繁栄」へと導くことになりました。
恫喝エピソード②③
メリー喜多川さんを検索すると「メリー喜多川 恫喝」と出てきます。
これは一体なんだろうと調べてみました。
②週刊誌の記者を恫喝
どうやら週刊誌の記者を呼び出して叱っていたことがあったようです。
『アイドル帝国』を築いた男 ジャニー喜多川社長の『ルーツ』を追う!」という記事が週刊文春(2010年12月30日・2011年1月6日合併号)と同(2011年1月13日号)に掲載されたときのことです。
前編が発売されるや、乃木坂にあったジャニーズ事務所本社に呼び出され、役員や弁護士にずらりと取り囲まれた。
メリー氏が、「私の納得いくまで説明しないと、徹夜してでもここを動かないし、帰らせない」とすごい剣幕で声を荒らげ、追い詰めてきた。
勝負服の真紅のジャケット。
テーブルをバンバン叩くその手には複数の大きな宝石の指輪が光り、富と権力を持つ大立者の風格があった。
当時82歳とは思えないほど意気軒昂であった。
文春オンライン
文春の記者が呼び出されてお叱りを受けたこの記事は、アメリカにまで取材に出かけるほどの熱のこもったものでした。
ジャニー喜多川社長とメリー喜多川副社長の過去を検証した企画だったそうで、戦後、ふたりがフィクサーの元に身を寄せ、ジャニーズ事務所を立ち上げて成功するまでを暴露している内容です。
メリー喜多川さんは、この記事で自分とジャニー喜多川氏の過去を暴かれたことに激昂し、「担当者を事務所によこせ」と要求します。
そしてデスクと記者が乃木坂のジャニーズ事務所に赴いたところ、5時間にわたって延々、凄まじい勢いで罵声を浴びせられたということでした。
③飯島女史への叱責
呼び出した記者の前で、当時ジャニーズ事務所の社員だった飯島女史を呼び出し、叱責したことがあったという記事が。
そして最後には「ジュリーと飯島が問題になっているなら、飯島を辞めさせる」とまで言い切ったようです。
メリー氏はここから飯島氏およびSMAPを徹底的に否定していく。
「この人(飯島氏)はSMAPが長すぎているのかもしれませんね」
「悪いけど私、飯島に踊りを踊れる子を預けられないもの」
「文春さんがはっきり聞いているんだから、対立するならSMAPを連れていっても今日から出て行ってもらう。あなたは辞めなさい」
「この人(飯島氏)なんて偉そうに派閥なんて言っているけど、じゃ、派閥の子の名前を言ってごらん?」
「もしジュリーと飯島が問題になっているなら、私はジュリーを残します。自分の子だから。飯島は辞めさせます。それしかない」
文春オンライン
この間ずっと飯島女史はうつむいてじっと聞くことしかできなかったようです。
週刊誌の記者の前でここまで言われるとは、中々キツイですね。
毒親エピソード④~⑦
メリー喜多川さんがいわゆる毒親だったことは、実の娘の藤島ジュリー景子さんの文書が先日の記者会見で発表されたことで発覚しました。
④藤島ジュリー景子さんは母親の影響でパニック障害に
藤島ジュリー景子さんは手紙の中で、「意見が少しでも違うと気が狂ったように怒り叩き潰すようなことを平時でする」と書いています。
そして母メリーは私が従順な時はとても優しいのですが、私が少しでも彼女と違う意見を言うと気が狂ったように怒り、叩き潰すようなことを平気でする人でした。
20代の時から私は時々、過呼吸になり、倒れてしまうようになりました。当時、病名はなかったのですが、今ではパニック障害と診断されています。
藤島ジュリー景子の手紙
こういったことが続き、結果パニック障害を患うことになったようですね。
⑤経営の権限は皆無
藤島ジュリー景子さんは跡取りにもかかわらず、事実上は、経営に関する権限はありませんでした。
メリー喜多川さんからの命令で、ジャニーズ事務所の取締役だったのにも関わらずです。
そして2008年春から新社屋が完成した2018年まで、一度もジャニーズ事務所のオフィスには足を踏み入れておりません。
これは、性加害とは全く違う話で、私が事務所の改革をしようとしたり、タレントや社員の環境を整えようとしたこと等で、二人を怒らせてしまったことが発端です。
藤島ジュリー景子の手紙
よかれと思って事務所の改革やタレント・社員の環境を整えようとしたことが逆鱗にふれるとは…ジュリー景子さんが気の毒に思えます。
⑥メリー喜多川はライオン
ジュリー景子さんは、実のお母さんであるメリー喜多川さんと話をすることを極力避けてきたと手紙に書いてありました。
メリーからは私の娘である孫に会いたいと切望され、1年に数回、一緒に食事をすることや、お正月には孫と旅行することを決められておりましたが、私自身はメリーと話をすることを極力避けてきた人生でした。
藤島ジュリー景子 手紙
これは、パニック障害になった原因がお母さんのメリー喜多川さんだったからです。
心療内科の先生は「メリーさんはライオン、あなたはシマウマ」と表現したのですから、その力は絶大だったということですね。
心療内科の先生に「メリーさんはライオンであなたは縞馬(しまうま)だからパニック障害を起こらないようにするには、この状態から逃げるしかない」と言われ、自分で小さな会社を立ち上げ、そこに慕ってくれるグループが何組が集まり、メリー・ジャニーとは全く関わることなく、長年仕事をしておりました。
藤島ジュリー景子 手紙
⑦離婚に追い込まれる
ジュリー景子さんは、今は独身ですが、一度結婚しています。
実はこの結婚が破綻した原因は、母親のメリー喜多川さんだったと言われているのです。
「実はTさんはそこまで放蕩三昧というわけではなかったんです。
夫婦仲もけっして悪くはなかった。
ただ、メリーさんがTさんの能力をまったく評価しておらず、孫娘ができて少したってから、こんな男にジャニーズの資産が一銭でもいくのは耐えられない、この男と結婚しているあいだはジュリーを社長にできないと、Tさんを攻撃するようになり、別れさせようとし始めた。
こうなると、ジュリーさんは母親には一切さからえませんからね。
それで、2人は別居することになり、Tさんは役職を全部外されて、ジャニーズ事務所から追放されてしまったんです。
その後しばらくして、2人は離婚したと聞いています。確認はしていませんが、少なくとも関係者のあいだでは、そういう認識になっていますね」(前出・ジャニーズ事務所関係者)
https://lite-ra.com/
ジュリー景子さんは、ジャニーズ事務所の跡取り娘ですが、恋愛結婚でした。
もし離婚がメリー喜多川さんのせいだったとしたら、せっかく好きな人と結婚して子供も生まれていたのにとても辛かったでしょう。
ジュリー景子さんは、離婚後は再婚せずここまで独身を貫き通しています。
それでも優しいところもあった
ジュリー景子さんは、それでも母親を庇う発言をしています。
今回は初めて公に話をしたメリーは本当にひどい面も多くあったのですが、優しい一面もあり、自分の母でもあり、皆様の前でお話したいことを過呼吸にならずにお伝えできる自信がなく、このようなお手紙にさせていただきました。誠に申し訳ございません。
藤島ジュリー景子 手紙
この一文を読むと、悲しくなります。
ジュリー景子さんは、どんな酷いことをされても母親のことを憎むことは出来なかったのでしょう。
酷いはずなのに、それでも憎むことができない、という揺れる気持ちを抱えていることはものすごく辛いことです。
いっそ憎むことができれば、少しは楽になれるのですが…。
でも優しいところも良いところもあったからこそ憎めないのでしょうね…。
まとめ
女傑と言われるメリー喜多川さんについてのエピソードを調べてみました。
ジャニーズ帝国を築いた女性ですから、強いのは当然かなと思います。
また強いだけでなく、賢さも兼ね備えていたのでしょう。
そうでなければジャニーズ事務所を一代であんなにも大きくすることはできなかったでと思います。
ただジュリー景子さんは、気の毒だなと感じました。
それでは今回はこの辺で失礼します。
最後まで記事を読んでくださいましてありがとうございました。
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