表現の自由を守れ!などでオタクと言われる層にも人気のある山田太郎議員。
蝶ネクタイがトレードマークで、優しい笑顔の方という印象です。
山田太郎議員は2012年に参議院議員に当選し、現在2期目。
政治家になる前はどんな仕事をしていたのかや学歴、家族構成などが気になります。
といことで、この記事では、山田太郎議員の学歴やこれまでの経歴、家族などについて調べてみました。
山田太郎の本名やWiki風プロフィール
山田太郎議員の本名は「山田太郎(やまだ たろう)」です。
生年月日:昭和42年(1967年)5月12日
年齢:56歳
出身地:東京都大田区
血液型:B型
趣味:執筆活動
座右の銘:今日の日をありがとう(松任谷由実さんの曲「Autumn Park」より)
愛読書:「ライト、ついていますか」(G.M.ワインバーグ著)
好きな食べ物:うなぎ
山田太郎の中学・高校・大学などの学歴
山田太郎さんの学歴はやはりすごかったです。
麻布中学校
麻布高等学校
慶應義塾大学経済学部卒業
早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得満期退学
麻布中学校・高等学校
超有名な東京の中高一貫の私立学校で、男子御三家の中の一つです。
男子御三家は【開成・麻布・武蔵】で、どの学校も「人気・実力・伝統」でトップの学校です。
麻布は、高校からの募集はないため、入学したければ中学受験しか方法がありません。
また麻布中学校の偏差値は68、高校は受験できないために偏差値が出ていません。
麻布高校は、東京大学へ毎年80人から90人以上の合格者を輩出しています。
京都大学や一橋大、東京工大などの難関国立大学にも多数の合格者を出し、早慶といった難関私立大学には毎年合計で300人ほどの合格者を出しています。
参考までに記述しますと、男子御三家の中の開成高校の偏差値が78で、東大への進学者は毎年100名から150名ほどとなっています。
慶應義塾大学
慶應義塾大学経済学部の偏差値は65.0〜67.5で看板学部とも言われ、日本で最初の経済学部です。
慶應義塾大学出身の有名人
豊田章男(トヨタ自動車)
小泉純一郎(元総理)
橋本龍太郎(元総理)
櫻井翔(嵐)
ふかわりょう(タレント)
早稲田大学大学院
山田太郎さんは、1993年に慶應義塾大学を卒業して社会人となりますがその後大学院に進みました。
そして2006年に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程を単位取得満期退学しています。
単位取得満期退学とは、単位は全部取ったけれど博士課程を修了することなく退学したことを指します。
退学後に博士論文を出すこともできるので、審査に合格すれば論文博士として学位が認められることもあります。
単位をすべて取得し標準修業年限を満了したけれども、博士論文を書けなかったり、書いたけれど審査で不合格になったりしたために、博士課程を修了することなく退学することです。
博士課程を満期退学/単位取得後退学した場合でも、日本では博士課程経験者とみなすこともあります。
なお、退学後に大学院に博士論文を提出し、審査に合格することで論文博士として学位が認められることもあります。
https://acaric.jp/articles/4132
山田太郎の家族構成
山田太郎さんは結婚していて、奥様と娘さんが一人いらっしゃいます。
奥様とは大学時代に知り合ったそうです。
娘さんはすでに社会人として働いています。
奥様も娘さんも、一般人のため顔は一切出ていません。
山田太郎氏が表現の自由に取り組むきっかけが、腐女子である娘さんだったという、娘さんとの仲の良さを感じさせるエピソードがありました。
山田太郎の経歴
山田太郎氏の経歴がとんでもなかったです。
大学在学中からラジオ制作に携わっていたり、世界50カ国以上を訪問したりしています。
職歴や受賞歴
1993年5月:アンダーセンコンサルティング(現・アクセンチュア)入社
- プログラミング、システム作成の日々からデータの基礎を学ぶ
1994年4月:バーンジャパン株式会社(現米国インフォア社)入社
- オランダ製ERPパッケージのバーンを日本に導入する。この頃から製造業のコンサルティングやシステム開発に携わる。 同社が日本に進出した際のスターティングメンバーとして日本法人立上げに参画。
1995年10月:プライスウォータハウスコンサルタント株式会社(現日本IBM)入社
- 様々な企業のコンサルティングを行う。製造業部門の担当マネージャー。 数々のERPプロジェクトの立て直しを行う。
2000年1月:パラメトリック・テクノロジー・コーポレーション(PTC)米国本社副社長就任(マーケティング担当)
- 機械系三次元CAD・CAM・CAE・PDMの開発・販売の世界最大手(米国ナスダック上場)の企業役員(米国本社副社長) としてマーケティング担当の副社長となる。
2001年7月:ネクステック株式会社を創業し代表取締役社長に就任。
- 製造業専門コンサルティング企業。国内製造業最大手300社以上のコンサルティングとシステム開発。 創業から実質3年半で東証マザーズ上場(2005年3月)。従業員250名以上、年商40億円以上。
2005年10月:「アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー2005」ファイナリスト受賞。
- 世界のベンチャー企業に贈られる名誉ある賞。
2006年1月:「創業・ベンチャー国民フォーラム」起業家部門受賞。
- 主催は、中小企業庁。初の国からの受賞。
2008年6月:ネクステック株式会社の取締役顧問ファウンダー就任。
- 創業社長を退き、顧問となる。
2010年7月:株式会社ユアロップを創業し代表取締役社長に就任。
- 東南アジアへの日本の技術輸出を支援するコンサルティングを実施。
2016年8月:株式会社ニューカルチャーラボを創業し代表取締役社長に就任。
- ネットや最先端技術導入のコンサルティング会社。 モノづくり企業はじめ、各種システム会社の顧問を務める。
その他:中華料理店、接骨院、人材紹介会社、ビル経営などの経営オーナー。
教育者としての経歴
2001年〜2013年:東京大学 大学院工学系研究科環境海洋学専攻 (工学部システム創成学科知能社会コース専攻)の非常勤講師
2006年〜:早稲田大学 大学院商学研究科ビジネス専攻(早稲田MBAスクール)客員准教授
2008年〜:東京工業大学 大学院社会理工学科 特任教授社会理工学科の博士課程の授業を担当
2009年〜:早稲田大学理工学術院 非常勤講師大久保キャンパスで「技術経営」を担当
その他:北海道大学、法政大学、駒澤大学などでも授業を担当。
参議院議員1期 2012年〜2016年
2010年7月:第22回参議院選挙出馬(みんなの党の比例代表候補・落選)
2012年12月:参議院議員繰り上げ当選(みんなの党)。みんなの党政策調査会副会長(経済政策担当)。
2015年1月:日本を元気にする会設立
- みんなの党解党後、松田公太代表と共に新党を結成。 政策調査会長 兼 幹事長代行。
2016年7月:第24回参議院選挙出馬(新党改革推薦・落選)
参議院議員2期 2019年〜
2019年7月:第25回参議院選挙出馬、当選
2021年10月:デジタル大臣政務官 兼 内閣府大臣政務官 就任
- 内閣府大臣政務官としては規制改革・行政改革・個人情報保護法・サイバーセキュリティー・PFI等担当
2022年8月:デジタル大臣政務官 兼 内閣府大臣政務官 退任
2023年9月:文部科学大臣政務官 兼 復興大臣政務官 就任
まとめ
山田太郎議員の学歴や経歴、家族についてなどを調べてみました。
とんでもなく優秀な方で、学歴と経歴が輝かしすぎて眩しいですね。
今回いろいろとあったようですが、政治家については日本国民のためにしっかりと働いてくれれば、私生活はあまり気にならないな~というのが本音です。
山田太郎議員にはこれからも日本のために頑張ってもらいたいと思います。
それでは今回はこの辺で失礼します。
最後まで記事を読んでくださいましてありがとうございました。
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