「最後に愛は勝つ」で知られる歌手のKANさんがお亡くなりになりました。
KANさんの曲で有名なのは「最後に愛は勝つ」ですが、それ以外にも名曲が本当にたくさんあり、他のアーティストへの楽曲提供も多くありました。
またKANさんの音楽に影響を受けたアーティストも多く、ミスチルの桜井さんもKANさんの大ファンだと公言しています。
そんなKANさんの死因は何だったのでしょうか?
そしてここのところ著名人の訃報で必ず出てくるワクチンについての話も気になります。
この記事では、メッケル憩室ガンの生存率やどんなガンなのか、またKANさんがワクチンを接種していたのかについてなどを調べて行きます。
KANの訃報
2023年11月17日、歌手のKANさんが亡くなったことが報じられました。
KANさんは、今年3月から「メッケル憩室がん」で闘病中だったので、この訃報を見たときにはてっきり死因はガンだと思いました。
しかし報道では「死因は明らかにされていない」となっています。
「愛は勝つ」が大ヒットした歌手のKAN(かん、本名木村和=きむら・かん)さんが死去したことが17日、分かった。
61歳。福岡市出身。
葬儀はすでに親族とごく近しい人たちで済ませている。
死因は明らかにされていないが、今年3月に日本では数十例ほどしか症例がない「メッケル憩室がん」を公表し、闘病していた。
スポニチアネックス
死因は明らかにされていないとの報道ですが、やはりガンに起因するなにかが原因だと考えるのが普通かなと思います。
続いてはKANさんにガンが見つかった時、ステージは発表されていたのか、KANさんの患っていた「メッケル憩室ガン」とはどんなものなのか次で調べていきます。
KANが患っていたメッケル憩室癌とは
KANさんは今年3月にガンであることを公表し、闘病生活を送っていました。
公表されたガンは「メッケル憩室がん」で、このガンは日本では数十例ほどしか症例がないという珍しいものでした。
ではこの「メッケル憩室がん」はどんな癌なのでしょうか?
「メッケル憩室」とは?
メッケル憩室とは、小腸の壁の一部が袋状になって外側に突き出たものを言い、このような憩室が生まれつきにある小児がいます。
消化管に関連した形態の異常としてはもっとも頻度の高いものであり、2%前後の人がもっているといわれています。その多くは無症状ですが、なかには腹痛や出血などをきたし治療介入が必要になることもある病気です。
メッケル憩室の多くは2歳までに発症します。さらに、2種類の臓器に関連した組織(胃とすい臓)がメッケル憩室内に認めることもあり、メッケル憩室の症状を引き起こし得ます。
メディカルノート https://medicalnote.jp/
上記がメッケル憩室についての説明なのですが、難しくてよくわからなかったので、他にも調べてみました。
メッケル憩室ができる原因を見るとわかりやすくイメージがしやすかったです。↓
原因
妊娠初期の段階で、赤ちゃんの小腸は卵黄のうと呼ばれる体の外の空間とつながっています。
卵黄のうと小腸をつなぐため、卵黄管と呼ばれる組織がへその緒の中に存在していますが、通常は妊娠7週頃までに卵黄管は閉鎖します。
しかし、卵黄管がうまく閉鎖せず残ったときにメッケル憩室が発生します。
メディカルノート https://medicalnote.jp/
ものすごく簡単に言うと、「メッケル憩室」とは妊娠初期にお母さんから赤ちゃんへ栄養素を送る管の痕跡です。
本来なら妊娠5〜8週の間に消失するもののようですが、稀に退行せず残ってしまう人がいる(全体の2%ほどで、どちらかといえば男性の方が多め)ということですね。
まずメッケル憩室を持っている人が全体の2%、それがガンになる確率だとさらに低くなるために、日本で症例が少ないガンだということでした。
メッケル憩室を持っていても多くは無症状で経過するので、自分がこのメッケル憩室を持っていることに気づかないことも多々あるようです。
なにか別の理由でお腹の手術をした際に、偶然に指摘されることもあるとのことでした。
「メッケル憩室がん」の症状は?
メッケル憩室に「がん」ができた状態が、「メッケル憩室がん」ということがわかりました。
それでは続いては症状について調べてみました。
メッケル憩室がんの症状は、一般的には無症状がほとんどです。
しかし、まれに腹痛などの症状が現れることがあります。
腹痛の場合は軽い痛みから重いものまで個人差があります。
その中でも代表的なものは、腸閉塞です。
メッケル憩室がんが腸の通り道を阻害することで、腸閉塞が引き起こされ、激しい腹痛・膨満感・吐気・嘔吐などの腸閉塞からくる症状が現れることがあります。
また、メッケル憩室がんが潰瘍や損傷を引き起こし、それが原因で腸から出血する可能性があります。この場合に起こるのは、血便や吐血などです。
Medical DOG
KANさんは、2022年の秋に「腹通がひどくなった」という理由で検診を受けたと公表していました。
メッケル憩室がんの生存率やステージは?
先程も記述しました通り、メッケル憩室は症例が少なすぎて正確な統計情報がないようです。
ただ一般的に早期発見であれば、5年生存率は70%とかなり高い数字となっていました。
メッケル憩室がんは、無症状であることが多いため発見が遅れやすく、進行がんになることが多いため、生存率が高いとは推測しづらいでしょう。
メッケル憩室がんのまれさから正確な統計情報はありませんが、一般的に早期に発見された場合の5年生存率は、70%となっています。
MedicalDOC
KANのガンはステージいくつだったのか
ここで気になるのが、KANさんがガンを発見したときに、ガンのステージはいくつだったのかということです。
しかしKANさんは、「メッケル憩室」であることや、腹痛が酷くなって病院にかかったことは公表していましたが、ステージについては公表していませんでした。
2023年3月18日に自身の公式サイトでの報告です。↓
突然ですが、どうにも洒落にならない御報告です。『がん』が見つかりました。
昨年秋に発症した腹痛が数週間継続したので病院に行き、検査を繰り返すうちにだんだん深刻な雰囲気になり、大きな病院に移って、更に多様な検査の後、組織摘出手術を行い、病理検査の結果、『メッケル憩室癌(がん)』と診断されました3月以降、演奏活動を休止して、療養生活を送っています。
私KANの音楽活動を応援してくださる皆さまには、どうか、心配ではなく、どうぞ、楽観していただければと思います。
KAN公式HP
皆さまに楽観していただけることが、きっと大きなエネルギーになる、そんな気がしています。
KANさんがガンを公表したのが2023年の3月、そして腹痛が起き始めたのが昨年の秋と書いてあるので2022年9月10月頃ということでしょうか。
そこから1年経っての訃報。
ガンが見つかってからお亡くなりになるのが早すぎるというのが正直な印象です。
KANさんのガンのステージは4だったのかもしれませんね…。
KANはワクチンを何回打っていたのか
このところ著名人の訃報の際に必ず話題に上るのが「ワクチン接種していたかどうか」のようです。
ここについて気になる方が多いので調べてみたところ、KANさんはワクチンを3回接種していました。
「サードワクチン接種完了」というこの投稿は昨年2022年6月のことでした。
副反応についても投稿していました。
このところ著名人の訃報が続きますね。
まとめてくれた方がいたので記述しておきます。
高橋幸宏さん(享年70)・ 燕真由美さん(享年62) ・鮎川誠さん(享年74)・ 恒岡章さん(享年51)・ 岡田徹さん(享年73) ・黒田隼之介さん(享年34)・ 黒崎真音さん(享年35)・ 西村香景(かけい)さん(享年61) ・坂本龍一さん(享年71) ・akiさん(享年52) ・谷村新司さん(享年74) ・もんたよしのりさん(享年72) ・犬塚弘さん(享年94)・ BUCK−TICK櫻井敦司さん(享年57) ・HEATH(ヒース)さん(享年55歳) ・大橋純子さん(享年73) ・KANさん(享年61)
今年に入ってこんなにも多くの方の訃報があったのですね。
こんなに多くの方が亡くなっていたことを知りませんでしたし、もしかしたら他にもいらっしゃるのかもしれませんね。
70歳を超えた方は寿命であると思えますが、60代だと若いと感じてしまいますし、中にはもっと若い方もいらっしゃったんですね…。
KANのWiki風プロフィール
名前:木村 和(きむら かん)
活動名:KAN
生年月日:1962年9月24日(2023年11月17日 61歳没)
出身地:福岡県福岡市
学歴:法政大学社会学部
活動期間 1987年 –
幼稚園の頃からヤマハでピアノのレッスンを受けていたというKANさん。
団地住まいであったとのことですが、小学校の頃からピアノを2台置いて練習するなど、ご両親は音楽大学へ進むことを望んでいたそうです。
また少年野球でも副キャプテンを務め、地元福岡のデパート「岩田屋」のランドセルCMに出演するなど、子供のころから多彩な活躍をされていたようですね。
中学からは独学でギターを弾き始め、3年生の年にビートルズのコピーバンドを結成。
1984年の法政大学社会学部在学中に、ヤマハ「East West ’84」決戦大会で優秀賞を受賞。
また集英社週刊ヤングジャンプの「Sound Contest ’84」では、ヤングジャンプ奨励賞を受賞。
1987年4月25日、ポリドールよりシングル「テレビの中に」と、同名のアルバムでレコード・デビュしましたが、数年はヒット曲もなくほとんど知名度がありませんでした。
1990年、5thアルバム『野球選手が夢だった。』の収録曲「愛は勝つ」が、テレビ朝日『クイズおもしろTV』のエンディング曲に採用されましたが、話題にはならなかったいうから驚きです。
しかし翌年1991年1月に「愛は勝つ」が、フジテレビ系『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』の第三期エンディングテーマに用いられ、「愛は勝つ」が大ヒットを遂げました。
ここでKANさんの知名度が一気にあがりました。
1999年には、97年の全国ツアーのサポートメンバーを務めたバイオリニストの早稲田桜子さんと結婚。
2001年から約3年間は、音楽活動を休業して、2002年に「フランス人になりたい」とパリに移住していたこともありました。
KANさんの楽曲は多くのアーティストに多大なる影響を与えました。
KANさんのファンとして有名なのはMr.Childrenの桜井さんやaikoさんでしょうか。
後ろからKANさんを抱きしめるMr.Childrenの桜井さん、好きが溢れています。
大好きなKANさんと共演してうれしそうなaikoさん。
名曲「SAY YES」が生まれたのは実はKANさんのおかげだったというASUKAさん。
他にもたくさんのアーティストがKANさんに影響を受けたと話ています。
「彼の影響を受けたというアーティストは非常に多く、Mr.Childrenの桜井和寿、スピッツの草野マサムネ、aiko、平井堅、スキマスイッチらがファンだと公言している。彼の楽曲が音楽業界に与えたインパクトは計り知れません」
https://www.asagei.com/excerpt/289732
KANさんが亡くなったことがまだ信じられません。
まとめ
偉大なアーティストKANさん。
61歳は早すぎます…信じられません…。
まだまだ活躍している姿を見たかった。
「愛は勝つ」が一番知られている曲ですが、他にもたくさんたくさん名曲があるんです。
本当に素敵なアーティストで、すごい才能の持ち主でした。
KANさんのご冥福を心からお祈りいたします。
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