着地点が見えないジャニー喜多川氏による性加害問題。
次々と被害を受けていたと告発する人が出てきています。
今回新たに告発した方は「木村伸一」さんで、なんと7人目のV6だったというから驚きです。
しかしどんな方なのかわからなかったので調べてみましたが、すごい美少年でした。
当時の画像や動画、現在の画像、経歴や現在の仕事もまとめていきます。
【顔画像】木村伸一のWiki風プロフィール
名前:木村伸一(きむら しんいち)
生年月日:1976年12月8日(46歳)
出身地:大阪府
身長:172cm(ジャニーズジュニア時代)
体重:51kg(ジャニーズジュニア時代)
血液型:A型
特技:器械体操(中でも床運動が得意)
好きなタイプ:篠原涼子
過去に木村伸一さんが載っていた雑誌には生年月日が「1977年」と表記されていましたが、こちらは間違いだったようです。
木村さん本人が、雑誌の取材の際に勘違いして「1977年」と伝えたという情報がありました。
今回文春の記事でも「46歳」と書かれているようですので、1976年が正しいと思われます。
【画像・動画】木村伸一のジャニーズJr.時代
この横顔、ものすごい美少年ですよね!
木村伸一さんがジャニーズに入所したのは「天才・たけしの元気が出るテレビ」での「ジャニーズ予備校」という企画だったと言われています。
木村伸一さんが数秒ですが出てきます。↓(動画は木村伸一さんが映る3分59秒から始まるようになっています)
しかしネット上ではサクラとしてオーディションに参加していたという情報もありました。
すでにJr.で、サクラとしてオーディションに参加していたとポストされている方がいました。
一応所属はしていたようです。
yktr@yukitaron X
また「ジャニーズ百科事典」によると、このオーディションの前に既にジャニーズ事務所に入所していたと書かれています。
最終候補に選ばれたが、実際には1995年1月からジャニーズ事務所に入所しており、既に「関西ジャニーズJr.」のメンバーとして雑誌にも登場していた。
ジャニーズ百科事典 元気Jr.
木村伸一の経歴
木村伸一さんは入所後にすぐ上京し、専門学校に通いながらジャニーズのレッスンを受けていました。
ジャニーズ百科事典によると、岡田准一さんと一緒にV6にメンバー候補だったようですが、何らかの事情で解雇されたと記載されています。
高校を中退していた木村は、入所直後に上京して一人暮らしを開始。
とんかつ店でアルバイトをし、1995年4月からは専門学校にも通いながら、ジャニーズのダンスレッスンを受けていた。
そして、テレビのオンエアではまだオーディションが途中の段階だったにもかかわらず、1995年6月発売の雑誌『Myojo』(同年8月号)にて、「第2回 ジャニーズ予備校の合格者」として早くも掲載されていた。
木村は当時、岡田准一と共に「V6」のメンバー候補にされており、ジャニーズ予備校で合格したことにして、話題性を作ってデビューさせられる予定であったが、何らかの事情で解雇され、既にジャニーズJr.として活動していたにもかかわらず、番組の最終審査にて「不合格扱い」にさせられた。
ジャニーズ百科事典 元気Jr.
確かにこちらの雑誌には「元気ジャニーズ予備校第二回オーディションに合格した木村くん」と書いてありますね。
木村伸一
「天才・たけしの元気が出るテレビ!」の人気コーナー”元気ジャニーズ予備校”第2回オーディションに合格した木村くん。
大阪から上京して約4ヶ月。専門学校に通いながら、バイトにレッスンに忙しい毎日だ。
「アパートの家賃を払うために、トンカツ屋さんでバイトしとる。まだ家財道具がそろってなくて…部屋にはなんもないんや。いちばん欲しいものは電子レンジ。」
何があったのでしょうか?
木村伸一の仕事は柔道整復師
木村伸一さんは現在柔道整復師となり、「きむら整骨院」という整骨院を開業しているようです。
小学生の頃は器械体操をしていて、大会ではよく上位入賞をする強い選手だったようです。
しかしバブル経済崩壊で家が破産、体操を続けることができなくなってしまいます。
そこからは家計を助けるために、中学校のときは新聞配達、高校の時も働いていたそうです。
年を誤魔化し朝まで仕事をするようなハードな生活の中、体調を崩してしまった木村さんは、東洋医学と出会います。
東洋医学の師匠と仰ぐ人に憧れて自分もその道に進みたいと考えますが、学費が捻出でず断念。
そんな中スカウトされていた芸能事務所に所属して仕事をするようになります。
しかし順調に思えた芸能活動中、喘息を発症しドクターストップがかかり、そのまま芸能界を引退となってしまいます。
その後美容師となり、26歳で店長となりますが、ここでも喘息が再発。
憧れていた師匠の治療で改善していく中で、やはり東洋医学の道に進みたいと思うようになります。
そして師匠のもとで修行し、柔道整復師となり、平成22年に千里山に開業しています。
はじめまして。きむら整骨院院長の木村伸一と申します。
自己紹介と私が整骨院を開いたきっかけ、そして私の想いをお伝えさせてください。
小学生の頃は器械体操をしていて、大会で上位入賞が当たり前の選手でしたが、バブル経済崩壊と共に家も破産し、体操も辞めてしまいました。中学では新聞配達、高校でも空いてる時間は全て働いて、歳を誤魔化して朝方まで働いたりもしてました。
そんな仕事ざんまいな高校生活をしていて、自律神経をやられ酷い倦怠感、食欲不振、急激な体重減少、怒りっぽくなったりと情緒不安定になってました。
そんな時私の唯一の師匠との出会いがありました。
師匠は全国で治療家や整形外科の先生などに向けて年間60回の講演や講義をし、難病の方の治療に精力的な方でした。その先生の治療のおかげでどんどん良くなり、次第にその治療に魅せられて治療家の道を目指すきっかけを作ってくれました。
師匠はどん底の生活の中の私たち家族のため父に仕事を与えてくださり、その中で東洋医学というものを教えて貰い、父と共に私も講習などに毎回参加させてもらうようになりました。
しかしその頃の整骨院業界は専門学校に入る為にはコネや多額の寄付金の金銭的な問題で学校にすら入ることが出来なく1度は断念し、その頃からずっとスカウトをされていたのもあり、某大手事務所に所属し、テレビやCMやドラマなどのお仕事をしていました。
しかし順調に思えた仕事に暗雲。大きな舞台で大役を頂き練習に励んでたところ、急に喘息を発症してしまい、声を出す度発作が起きる為ドクターストップがかかりあえなく降板。そのまま引退しました。
その後テレビの仕事でご一緒したスタイリストさんの縁で美容師を目指し、26歳の頃にはスタイリストとして店長も任せられていました。
しかしここでも美容師になって7年目で喘息が再発し、パーマの薬液などによるアレルギーなどで、病院通いするも改善なく、再び師匠に治療をして貰いみるみる良くなっていきました。
そこでもう一度この道に進みたいと思うようになり、美容師を辞め師匠の元で修行させてもらうことになりました。
治療の技術を学び講義のお手伝いをし、自ら講義もするようになり、そこで行き着いた答えがあります。どんな痛みや症状も原因が有り、筋肉、臓器、神経、性格なども大きく起因してきます。
私も経験した自律神経の症状もその時の精神状態で悪くなり、腰や肩の痛みにも波及してきます。マッサージなどで気持ちよくなるのも精神的なリラックス効果は有りますが、それ以外の原因を追求して根本改善をしないといけないと思っております。
どこに行ってもなかなか改善しない痛みを抱えてる方を1人でも多く無くし、明るく楽しい人生を歩んで頂きたいと願ってます。
そんな悩みを解決出来ればとの想いで平成22年に千里山に開業致しました。今では延べ7万人の患者様を施術をさせて頂き、多くのプロスポーツ選手、学生スポーツ選手など施術させて頂き、数多くの治療法を学び臨床も経て今の治療法を確立しました。
これからもより良い技術を学び研究していき、多くの笑顔に変えていければと思っております。
https://kimuraseikotsu.com/about/ きむら整骨院HP
まとめ
ジャニー喜多川氏による性加害問題の新たな告発者、木村伸一さん。
今もイケメンで46歳に見えないですし、若い頃の画像も本当に美少年で、ジャニーズっぽいですよね。
それにしてもどんどん告発者が出てきますね。
被害者は一体何人いるんでしょうか…、恐ろしいです。
被害に合われた方が少しでも心穏やかに過ごせるように、事務所がしっかりと対応してくれるといいなと思います。
それでは今回はこの辺で失礼します。
最後まで記事を読んでくださいましてありがとうございました。
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