BUCK-TICKの櫻井敦司さんを初めて見たときには衝撃を受けました。
こんなに圧倒的に美しい男性がいるんだ!と感動したのを覚えています。
歳を重ねてもかっこいいままでイケオジの代名詞のような方でした。
そんな櫻井敦司さんが最初に結婚した渡辺さゆり(サユリワタナベ)さんについてや、離婚理由、息子さんとのエピソードについて調べていきます。
【顔画像】サユリワタナベ(渡辺さゆり)
櫻井敦司さんの最初の奥さんの顔画像はこちらです。
櫻井敦司さんと渡辺さゆりさんの出会いは、BUCK-TICKがメジャーデビューした1987年のことだったようです。
BUCK-TICKの2枚目のアルバム『SEXUAL×××××!』(セクシュアル-!)のスタッフとして渡辺さゆりさんの名前が入っています。
渡辺さゆりさんはスタイリストとしてこのアルバムの制作に参加。
1987年11月21日に発売されたこの『SEXUAL×××××!』は、BUCK-TICKとしては通算2枚目となるメジャーデビュー後初のアルバムでした。
そして出会いから3年ほど経った1991年に、櫻井敦司さんと渡辺さゆりさんは結婚を発表。
しかし当時は渡辺さゆりさんは一般女性ということで名前は公表されていなかったようです。
結婚してすぐに男の子が生まれますが、1992年には離婚。
わずか1年の結婚生活でした。
櫻井敦司とサユリワタナベ(渡辺さゆり)の離婚理由は
櫻井敦司さんと渡辺さゆりさんの離婚理由は公表されていません。
当時の状況から離婚理由として噂されていたことが、2つありました。
1、櫻井敦司の母の死
2、BUCK-TICKが売れて多忙からのすれ違い
3、櫻井敦司の女性スキャンダル報道
1、櫻井敦司の母の死
櫻井敦司さんのお母様は1990年に亡くなっています。
この最愛の母の死は、櫻井敦司さんにとって大きな出来事でした。
お母様が亡くなったときは櫻井敦司さんはまだ24、5歳でしたから、その衝撃は言葉では語れないほどのものだったでしょう。
『JUPITER』とB面曲『さくら』の歌詞は、他界したお母様への想いを綴ったもので、このことからも櫻井さんがお母様をどれほど大事に思っていたかがわかりますね。
この出来事から櫻井さんの生活が変わっていったようで、悲しみを忘れるために、お酒の量が増えたり、女性関係が激しくなっていったと言われています。
奥さんである渡辺さゆりさんとの結婚は1991年で、実は「デキ婚」だったということがフライデーから報道されていました。
櫻井敦司さんのお母様が亡くなって生活が荒れ出したのが1990年ですから、悲しみが癒えない中での結婚だったのかもしれません。
ですからお酒や女性関係が結婚生活破綻の理由ではないかと言われています。
2、BUCK-TICKが売れて多忙からのすれ違い
1991年に発売されたオリジナルアルバム「狂った太陽」は、オリコンチャートにて最高位2位となり、第33回日本レコード大賞において優秀アルバム賞を受賞しました。
1987年にメジャーデビューし、1991年にレコード大賞で優秀アルバム賞受賞、とこれだけ見ると順風満帆に見えますね。
しかし1989年にBUCK-TICKのメンバーが薬物で逮捕されたことがあり、半年間の謹慎という辛い期間もありました。
そういったことを乗り越えてのレコード大賞での受賞は、BUCK-TICKにとっては大きなことで努力が報われた瞬間でもあったでしょう。
バンドとしてはここからが勝負といっても過言ではない大事な時期であった1991年。
そういった大事な時期に、家庭を顧みることが出来ないということはあったかもしれません。
多忙を極める中で、夫婦間にすれ違いが生じたのではないかと言われています。
3、櫻井敦司の女性スキャンダル報道
実は櫻井敦司さんは過去に女性スキャンダルがフライデーに載ったことがありました。
17歳年下の女性芸能人、大西結花さんとの同棲が報じられています。
この女性との関係が、夫婦の間に亀裂を生じさせたとも言われていました。
櫻井敦司の息子は作家の遠野遥
名前:遠野遥(とおのはるか)
生弁月日:1991年8月22日
出身地:神奈川県藤沢市
出身大学:慶應義塾大学法学部
職業:小説家
大学進学後に小説を書き始めたという遠野遥さん。
国内外の名作を片っ端から読み、「一番しっくりきた」と感じた夏目漱石の文体をお手本として、ジャンルを問わずに執筆を重ね、新人賞に応募し続けたそうです。
作風としては平易な文章を意識しており、修飾語の使用を極力抑えているとのこと。
これは遠野さん自身が簡潔な文体を好むことや、読む人が想像力を働かせる余地を限定したくないためだそうです。
読み手の想像力まで考えて小説を書く遠野さん、その視点が本当に素晴らしいですね。
活字の良さは、読む人が独自の風景や人物を頭の中で想像できることだと思いますので、遠野さんの作品は読んでいて楽しそうだなと思いました。
2019年に「改良」で第56回文藝賞を受賞しデビュー、美く2020年に「破局」で第163回芥川龍之介を受賞されています。
そして同じ年に、櫻井敦司さんの息子さんだったことが公表され、二人は対談しています。
今年7月、「破局」(文芸夏季号)で第163回芥川賞を受賞し、平成生まれで初の芥川賞作家になった遠野遥さん(29)とロックバンドBUCK―TICKのボーカル・櫻井敦司(54)が実の親子であることが7日、わかった。
同日発売の文芸誌「文芸 2020年冬季号」で報じられ、同誌で親子対談が実現した。
スポーツ報知
櫻井敦司のWiki風プロフィール
名前:櫻井敦司(さくらい あつし)
生年月日:1966年3月7日
出身地:群馬県藤岡市
血液型:O型
身長:177cm
1984年、前身バンドである「非難GO-GO」を結成、翌1985年に現メンバーで「BUCK-TICK」を結成しバンド活動を開始し、インディーズ活動を経て、1987年9月にメジャーデビューを果たしました。
シングル「JUST ONE MORE KISS」「悪の華」など数々のヒット曲を世に送り出し、バクチク現象と呼ばれる一大ムーブメントを巻き起こします。
美しすぎる容姿から「魔王」と呼ばれていましたが、同時に「あっちゃん」とも呼ばれ親しまれていました。
まとめ
急逝したBUCK-TICKの櫻井敦司さんの最初の奥様について調べてみました。
かなり若い時期に一度目の結婚をしていたことを知りびっくりしました。
バンドがこれからという時期だったために中々難しいところもあったのでしょう。
奥様は離婚の後女手一つで息子さんを立派に育て上げていて、素晴らしいなと思いました。
櫻井敦司さんの死は本当に急すぎて驚きましたし、残念でなりません。
ご冥福をお祈りいたします。
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